一羽の鳩が、体育館の中を右へ左へ飛んでいた。

どこかから迷い込んで来たのか、或いは体育館(市営)で飼っているペットの鳩が逃げたのか(可能性はほぼない)、皆目検討がつかないが、市の卓球大会が開催されている体育館の中を、鳩が飛んでいた。

鳩は客席の手すりに止まったり、天井付近に止まったり、移動を繰り返すせわしない野郎で、私(当時中学生)は仲間の試合の行方より鳩の行方が気になって仕方がなかった。

他校の生徒たちも、鳩の乱入にざわついており、特に一年生と思しき幼顔の少年たちは、きゃっきゃとはしゃいでいた。

我が卓球部で一番はしゃいでいたのは、私と同学(3年)の片桐(仮名)であった。
他校とは違って、最上級生が最もはしゃいでいたのである。

「見た? あいつ首のとこが赤かったよ」
「どっから入って来たのかな、窓開いてるんじゃない?」
「あれ? 鳩いまどこ? どこ?」
とにかくうるさかった。

賢明なあなたはもうおわかりだと思うが、片桐は我が校で一番弱い。
こうした場面で無邪気にはしゃぐのは、弱い奴と相場が決まっている。
漫画でもだいたいそうである。

一回戦であっさり敗北を喫していた片桐は、次の試合のことを気にしなくてもよいので、心置きなく闖入鳩に集中できるというわけだ。

毎度きっちりと一回戦で負ける片桐に対して当時の私は、
片桐家には「初戦勝つべからず」という家訓でもあるのではないかと本気で疑っていた。

我が校は団体戦で順当に勝ち進み準決勝進出を決め、私はもう鳩のことはまったく気にならなくなり、試合に向けて集中力を高めていた。

そんな私の隣で、片桐が後輩に問う。
「一匹いるってことは、あと二、三匹いるって考えてもいいのかな?」
後輩が答える。
「それゴキブリが出た時の考え方ですよ」

まったく不毛な会話である。耳障りである。
片桐は阿呆ではあるが嫌われてはいない。
“憎めない奴”というやつで、後輩も呆れながらでもきちんと対応してあげるので無益なやりとりが成立してしまう。

そして準決勝が始まった。

私は第一試合を戦い勝利し、ベンチに下がって仲間たちを応援する。
二番手の試合も勝利を収め、あとはダブルスが勝てば我が校の勝利となる。

1セット目をこちら側が取り、2セット目はジュースとなった。
相手の三球目攻撃をブロックし、ドライブの引き合いになった。

その時、何かが台の上に落ちて来た。
審判が手を上げてラリーを止める。

私は一瞬、隣のコートからボールが飛んで来たのかと思った。他の試合のボールが飛んで来てタイムをかけることは、卓球ではよくあることだ。
いや違う。すぐにそうではないとわかった。
台の上に落ちたものはまったくバウンドしなかったからだ。

試合をしていた4人は怪訝そうに台の一点を見つめる。
そして4人は一斉に上を見上げた。

ダブルスに出ていた我がチームのキャプテンがベンチに戻って来た。
苦りきった顔で一言。
「糞。鳩の」

チームメイトからティッシュをもらい、キャプテンは鳩の糞を拭き取る。
ラリーが止まらなければ、次に打球するのはキャプテンであった。
しかも相手から帰って来たのはゆるいドライブボールであったため、スマッシュか強めのドライブを打ち込めていた可能性があった。

そうした場合、他のコートから飛んで来たボールであっても、チャンスが潰されて非常に悔しく思うものだが、それが鳩の糞である。
キャプテンの心中察するに余りある。

「はははははっ」

突如場違いな笑い声が響いた。

声の主は2階の応援席にいる片桐であった。
私を含め、チームメイトが視線をやると、苦笑いしながらすまんすまんと手刀を切った。
めったにお目にかかれないハプニングが面白くて仕方がないという様子だ。

試合が再開され、2セット目を何とかものにして、我が校は決勝進出となった。


試合後、笑ったことに激怒したキャプテンが片桐の頭をはたき、それにキレた片桐がキャプテンに掴み掛かる、というくだらな過ぎる喧嘩が勃発した。

鳩が「平和の象徴」というのは嘘であることを、私はこの時、はっきりと悟った。

[鎌倉]<豊島屋>鳩サブレー TN
[鎌倉]<豊島屋>鳩サブレー TN