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ピンポンさん 異端と自己研鑚のDNA

ピンポンさん (角川文庫)




著者は、今や卓球ファンにはお馴染みのスポーツライターの城島充さんである。



「ミスター卓球」と呼ばれ、卓球界に燦然と輝いた巨星・荻村伊智朗。

日本の卓球界だけにとどまらず、「世界の卓球界の父」であった荻村さんであるが、選手としては、シングルスで2度の優勝を含め、12個の世界タイトルを獲得。
引退後は指導者や文筆家、そして日本人初の国際卓球連盟会長として、卓球をよりメジャーに、より面白くするために尽力。

荻村さんが卓球界に与えた影響は計り知れな過ぎて、ここにその全てを抜粋していたら、時間がいくらあっても足りない。


そんな偉大過ぎる荻村さんであるが、当ブログの卓球書評のカテゴリーの1冊目に紹介した『笑いを忘れた日 伝説の卓球人・荻村伊智朗自伝』を読んで、荻村さんのことはだいたいわかったつもりになっていたが、そこには描かれていない、ある女性との濃厚なエピソードが『ピンポンさん』には描かれている。


【武蔵野卓球場のおばさん】

その女性とは、吉祥寺で木造の小さな卓球場「武蔵野卓球場」を営んでいた上原久枝さんという方。

吉祥寺の片隅で専業主婦をやっていた久枝さんは、夫と母親との平穏な3人暮らしを送りながらも、1日1日を自分らしく生きる心の張りを求めていた。

漠然とした不安を抱えながら、なにか新しい仕事を始めたいという気持ちを持っていた久枝さんは、30歳の誕生日が近づいたある日、母親が定期購読していた婦人月刊誌を手に取る。

その巻頭の特集ページに、北海道で暮らす主婦が自宅の2階を卓球場に改装し、地元の人たちで連日にぎわっている様子が紹介されていた。

それを読んだ久枝さんは「卓球場なら、今のわたしたちにもできるんじゃないかしら……」と思った。

夫の協力もあり、1950(昭和25)年の9月15日、吉祥寺の片隅で新しい卓球場がオープンした。


【情熱の卓球少年】

一方その頃の荻村さんは、毎年多くの東大合格者を輩出する進学校に入学後、卓球と出会い、高校1年生からという、遅い卓球人生をスタートさせる。

進学校であるため、部活動をやっている生徒のほとんどは2年生の夏休みが終わると引退し、受験勉強に専念するが、荻村少年だけは違った。

ラケットを持って素振りをしながら誰よりも早く登校し、体育館で1人黙々とラケットを振る。
昼休みになると校舎の周辺を走り、放課後は後輩たちと練習をする。

そして、母親に内緒で持ち出したハードカバーの本や古い雑誌を古本屋で売りさばきながら、都内各所の卓球道を渡り歩く、という日々。

そんな荻村少年が、新しい卓球場ができたと聞きつけ、やって来たのが武蔵野卓球場である。


荻村少年は栄養失調かと思うほどやせて青白い顔をしており、笑顔ひとつ見せない無愛想な少年であった。

初めて武蔵野卓球場に足を踏み入れた荻村少年は、常連であった専修大の主将に挑んだ。
そこで久枝さんは、それまで見たことのない行為に驚いた。

 プレーが途切れたとき、荻村少年はズボンのポケットに突っ込んでおいたコッペパンの先をちぎり、その底から取り出したマーガリンを少しつけて口に放り込んだ。そしてそれをガムを噛むようにくちゃくちゃ口の中で咀嚼しながら、汗だくになってラケットを振り続けていたのだ。
 二十分か三十分に一度、口の中のパンが溶けてなくなるたびにその行為を繰り返す姿は、久枝に奇異な印象しか与えなかった。 


その日から毎日卓球場に通うようになった荻村少年。

ある日、夜遅くまで1人で練習する荻村少年に、久枝さんは「おうちの方が心配なさらないかしら」と訊ねると、父親はいなくて、母親は仕事をしていて帰りが遅いと言う。

家庭の事情を知った久枝さんは、それなら晩ご飯をうちで食べていけば? と提案する。
すると「いいの、おばさん?」と、無愛想な少年が初めて弾んだ声を出した。
久枝さんのことを「おばさん」と呼んだのも、このときが初めてだった。

こうして、卓球一筋の風変わりな少年と、小さな卓球場のおばさんとの、長きにわたる友情の歴史が始まる。


【親子でも友達でもない関係】

久枝さんは毎日荻村少年に手料理を食べさせ、練習着も毎日手洗いするなど、なにかと世話を焼いた。
いつからか卓球場の料金も取らなくなった。

「練習の虫」という言葉では軽すぎるほどの圧倒的な情熱で卓球に打ち込む荻村少年は、練習と受験勉強の両立に苦しみ「過労」と「栄養失調」により卓球場で倒れてしまうが、この時も久枝さんは病室に足を運び続けて世話をした。

他の常連客から、どうして荻村ばっかりかわいがるのかと、嫉妬ややっかみの目で見られるようになるが、荻村少年は周囲の目をまったく気にしなかった。

進学校に通う息子が卓球に打ち込むことに反対していた母親も、やがて久枝さんを「おばちゃま」と呼ぶようになり、なにかと頼るようになる。


そして大学に進学してからも、日本のトップ選手となってからも、荻村さんは武蔵野卓球場での練習を続けた。

やがて、世界チャンピオンになり、国民的な大スターとなった荻村さんであるが、久枝さんとの関係は変わらない。

卓球のこと、進学のこと、就職のこと、なんでも相談した。
もちろん好きな人ができた時も相談し、久枝さんは恋のお手伝いまでする。

結婚して荻村さんに子供ができれば我が子のように可愛がり、さらにはその子供たち(荻村さんの孫)の面倒まで見る。


親子でもなく、友達でもない。卓球という絆で固く結ばれた同士、というのもまたちょっと違う。
荻村さんと久枝さんは本当に不思議な関係である。


【他人への厳しさ】

私が本書を読んで最も驚いたことと言えば、荻村さんの「他人に対する厳しさ」である。

荻村さんは、久枝さんと出会った高校生時代から、他人へ厳しく接する人だったそうで、武蔵野卓球場の常連たちで作った「吉祥クラブ」のチームメイト、大学の卓球部の後輩、そして奥さん。
時に「非常」とも思えるような厳しさで周りの人達に接する荻村さんは、久枝さんともしょっちゅう口論をしていたという。

後にタマスの専務取締役となる久保彰太郎さん(吉祥クラブのチームメイト)に、荻村さんは「僕だっていろんな人に、恋人に接するように優しく接したいと思う。でも、できないんだ」と言ったという。 


1965年のリュブリアナ大会では、選手兼監督という前代未聞の抜擢をされた荻村さんは、「毎日、自己記録を更新するんだ」を口癖のように言いながら、峻烈を極めた合宿を敢行。
倒れる選手が出るほど、代表選手たちにハードな練習を課した。

引退後は、強化対策本部のヘッドコーチに就任するも、回りの人間と衝突し、辞表を提出することになる。


そして吉祥クラブの面々が武蔵野卓球場を離れていった後、青卓会というクラブを新たに立ち上げるが、荻村さんは、代表レベルに匹敵するような厳しさをこの小さなクラブに求めるようになり、歯車が狂っていく。

練習の厳しさはもちろんだが、青卓会の現役選手には、アルコールや煙草はもちろん、コーヒー、男女交際まで禁止したという。 

荻村さんの現役時代の練習量とその内容はとにかく凄まじく、当時を知る人は「常軌を逸している」とまで言うほどで、それをやり通した人であるからこそ、世界で勝つためには並の努力ではダメなのだということを知っているのである。


久枝さんが「みんなにもっと優しく接してあげたらどうなの?」と言っても、荻村さんは聞く耳を持たない。

そして、荻村さんに反発する古いメンバーや久枝さんとの間に亀裂が入り、この溝が埋まるまでに5年という歳月を要することになる。

ちなみに、卓球王国の編集長である今野昇さんも青卓会のメンバーだったようで、荻村さんの自宅で飼っていた柴犬に右手を噛まれた今野さんが包帯を巻いて練習場へ行った際、荻村さんに「卓球選手がラケットを持つ大事な手を犬に噛まれるなんてどういうつもりだ」と怒鳴りつけられたというエピソードは思わず笑ってしまった(本人にとっては笑い事ではないだろうが)。


【開場50周年】


そして月日は流れ……。
卓球場が40周年を迎えた時、「おばさん、四十周年っていってもまだまだですよ。あと十年。卓球場を半世紀守り続けたら、僕が誉めてあげますよ」と、相変わらずの憎まれ口をたたいた荻村さんだったが、50周年を迎えた時、荻村さんはもう、久枝さんの隣にはいなかった。

享年62歳。早すぎる死であった。


久枝さんは言う。 

「卓球選手としては尊敬していても、心の底から伊智朗さんのことを好きだっていう人は少なかったんじゃないかしら。でも、伊智朗さんのことを嫌な奴だって思った時点で、もうその人も伊智朗さんの影響を受けているのよね」


荻村さんが現役時代に自分に課した、常軌を逸した猛練習。
そして指導者となってから選手たちに与えた峻烈な試練。

これらは世界の頂点に立つことだけを考えた、荻村さんの卓球哲学の神髄である。


ただガムシャラにやって故障しては意味がないし、昭和時代の「水は飲んじゃいけない」的な根性論はもう通用しない時代ではある。

しかし、荻村さんが追求した、厳しく自分自身を追い込む「荻村流卓球道」をより進化させた、「21世紀の根性論」「近代的なスポ根」なるものを確立し、圧倒的な練習量と厳しさで鍛え上げる、新たな根性卓球が、現代の日本卓球界が中国を倒すためのひとつの道であるかもしれないという気もする。

まあ、言うのは簡単だけれどね……。


武蔵野卓球場は、もう何年も前にその歴史に幕を閉じたそうだが、50年以上もひとつの卓球場が運営され続けたという事実は、本当に本当に凄い事である。


では、最後に、独特の感性を持った荻村さんが、独自の言い回しで卓球について語った言葉を、本書より抜粋してご紹介。


「画家はキャンパスに絵筆で、バイオリニストは音で宇宙を表現する。俺たちは卓球で宇宙を表現するんだ」

「俺たちはただ勝つために卓球をやるんじゃない。人間の文化を向上させるために、ラケットを振るんだ」



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